「高嶺の花(たかねのはな)」とは、一般的に「憧れの存在だが、自分には手が届かないもの」を意味する表現です。
もともとは、高い山の頂に咲く美しい花のように、見ることはできても簡単には手に入れられないものを指していました。
「高嶺の花」は、特に恋愛や憧れの対象として使われることが多いです。
「美人すぎる」「高学歴・高収入」「自分には釣り合わない」といった、手が届かない相手を指す。
「難関大学」「トップ企業の職業」「高価なブランド品」など、自分には遠い存在を表す。
「高嶺の花子さん」だったら、手の届かない女性を思う男性の想いですかね。
例えば・・
恋愛の場合
「彼女は美人で頭も良く、まさに高嶺の花だ。」(=自分には到底釣り合わない存在)
仕事や目標の場合
「この会社に入るのは難しくて、自分には高嶺の花だ。」(=とても難しい目標)
物やステータスの場合
「高級ブランドのバッグは、私にとって高嶺の花だ。」(=欲しいけど手が届かない)
憧れはあるが現実的には手が届かないものを指して使われます。
もっと詳しく見ていきましょう!
高嶺の花とは?

「高嶺の花」の語源
「高嶺の花」という言葉は、日本語の中で古くから使われてきた表現で、「高い山の頂(高嶺)に咲く美しい花」という自然の情景から生まれました。
この花は遠くから眺めることはできても、実際に手に取ることは難しいため、「憧れるが手に入らないもの」という比喩として使われるようになりました。
「高嶺」の意味
「高嶺(たかね)」とは、「高い山の頂上やその付近のこと」を指します。
たとえば、日本では富士山のような高山のことを「高嶺」と表現することがあります。
高嶺に咲く花は、人里離れた険しい場所に咲くため、簡単には手に取ることができません。
そのため、憧れはあっても手に入れることができない象徴となりました。
「高嶺の花」の「花」は何?
しいて言うとどんな花なんでしょう?
「高嶺の花」の「花」は特定の花を指しているわけではありませんが、高山に咲く美しくも手に入れにくい花。
というとこんな花なのでは?
エーデルワイス(Leontopodium alpinum)

花言葉 「大切な思い出」「勇気」「純粋」
エーデルワイスはヨーロッパの高山(特にアルプス)に咲く希少な花で、標高の高い厳しい環境でしか育たない。
その希少性と美しさから「手に入れるのが難しい花」とされ、伝説や詩にも登場することが多い。
高嶺に咲くため、まさに「高嶺の花」の象徴としてふさわしい。
コマクサ(Dicentra peregrina)

花言葉 「高嶺の花」「誇り」「気高い心」
コマクサは日本の高山帯(2000m以上)に生息し、「高山植物の女王」とも呼ばれる。
ピンクや紫がかった可憐な花が特徴で、過酷な環境でも咲くその姿が気高く美しい。
花言葉に「高嶺の花」という意味を持つことから、この表現の由来となった可能性もある。
ヒマラヤの青いケシ(Meconopsis betonicifolia)

花言葉「憧れ」「神秘」「夢」
- ヒマラヤの標高3000m以上の高山に自生する美しい青い花で、見つけることが非常に難しい。
- 幻の花とも呼ばれ、「一度は見てみたいが手に入れることは難しい」という点が「高嶺の花」の概念と一致する。
- 「憧れ」という花言葉があり、まさに手の届かない存在の象徴となる。
この3つの花はすべて「高嶺に咲く美しくも希少な花」であり、「手に入れるのが難しい」という特徴を持っています。
特に、コマクサの花言葉が「高嶺の花」そのものであることから、最もこの言葉の象徴になりやすいと考えられます。
「高嶺の花」と古典文学の関係

古典文学での使用
「高嶺の花」という言葉が、直接的に古典文学に登場する記録は多くありませんが、類似する表現は古くから使われています。
平安時代の和歌や俳句には、「高嶺」「花」「手の届かぬもの」を組み合わせた表現が見られます。
例えばこんな古典文学があります。
『新古今和歌集』より
この歌自体は「高嶺の花」を直接詠んだものではありませんが、西行の和歌には「高嶺の花」に通じるような、遠くの美しさに憧れる表現が多く見られます。
西行法師(さいぎょう)
「心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」
(意味:無情なこの身にも、しみじみとした情趣を感じることがある。鴫が飛び立つ沢の秋の夕暮れよ。)
『万葉集』より
大伴家持(おおとものやかもち)
「春されば まづ咲く宿の 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ」
(意味:春になると真っ先に咲く家の梅の花を、私は一人で眺めながら春の日を過ごすのだろうか。)
梅の花は当時、高貴な身分の人々に愛された花であり、「高嶺の花」に通じる存在感がある。
『百人一首』より
藤原定家(ふじわらのていか)
「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」
(意味:待っても来ない人を思いながら、松帆の浦の夕暮れに焼かれる藻塩のように、私の身も恋に焦がれている。)
「来ぬ人を」という表現が、「手に入らない存在」=「高嶺の花」に通じる。
『源氏物語』
紫式部
光源氏と藤壺の関係
光源氏が義母である藤壺の宮に対して抱く恋慕の感情は、まさに「高嶺の花」に相当する。
藤壺は高貴で手の届かない女性として描かれ、源氏にとっては憧れの存在でありながら決して手に入れられない存在であった。
『伊勢物語』 第六段
在原業平(ありわらのなりひら)
「名にし負はば いざこととはむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」
(意味:名に「都」を持つ鳥よ、私の思う人は都にいるのか、いないのか、教えてくれ。)
この歌では、遠く離れた恋人への憧れが詠まれており、「手に入らない存在」への想いが込められている。
高嶺の花に近いことわざ

「高嶺の花」にちなんだことわざや似た意味を持つ表現には、以下のようなものがあります。
「絵に描いた餅」
見た目は良いが、実際には役に立たないものや手に入らないもの。
「高嶺の花」と同じく、憧れていても手に入らないものを指す場合に使われる。
「月とすっぽん」
二つのものが比べ物にならないほど違うこと。
高嶺の花のような存在と、自分のような平凡な存在を比べる時に使われる。
「遠くの親類より近くの他人」
遠くにいる親戚よりも、身近な他人のほうが頼りになること。
「高嶺の花」のように遠くにあるものを追い求めるより、身近なものを大切にするほうが良いという考え方。
「燕雀(えんじゃく)、安んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」
小さな存在の者には、大きな志を持つ者の考えは理解できない。
高嶺の花のような存在の人の気持ちは、凡人には分からないというニュアンスがある。
「隣の芝生は青い」
他人のものは自分のものよりも良く見えること。
「高嶺の花」と同じく、遠くから見て憧れるものの実態は分からないという考えに通じる。
これらのことわざは、「高嶺の花」と同じく、手の届かないものや憧れの対象について表現するのに使えます。
「高嶺の花」の要点まとめ
「高嶺の花」の意味
- 憧れの存在だが、自分には手が届かないもの。
- 高い山の頂に咲く美しい花が由来で、見ることはできても簡単には手に入らないものの比喩。
- 特に恋愛や憧れの対象として使われることが多い。
具体的な使用例
- 恋愛:「美人すぎる」「高学歴・高収入」「自分には釣り合わない相手」
- 仕事・目標:「難関大学」「トップ企業の職業」
- 物・ステータス:「高級ブランド品」「贅沢な生活」
「高嶺の花」の語源
- 「高嶺」= 高い山の頂上やその周辺のこと。
- 高嶺に咲く花は簡単に手に取れないため、「手に入らない象徴」となった。
「高嶺の花」にふさわしい花
① エーデルワイス(花言葉:「大切な思い出」「勇気」「純粋」)
- 高山に咲く希少な花で、手に入れるのが難しい。
② コマクサ(花言葉:「高嶺の花」「誇り」「気高い心」) - 「高山植物の女王」と呼ばれ、気高く咲く姿が象徴的。
③ ヒマラヤの青いケシ(花言葉:「憧れ」「神秘」「夢」) - 幻の花とされ、「手に届かない美しさ」を表現するのに最適。
5. 「高嶺の花」と古典文学
- 『新古今和歌集』西行法師:「遠くの美しさに憧れる表現が多い。」
- 『万葉集』大伴家持:「梅の花=貴族の象徴、高嶺の花に通じる。」
- 『百人一首』藤原定家:「来ぬ人を…」=手に入らない存在への恋慕。
- 『源氏物語』光源氏と藤壺:「高貴で手の届かない女性への憧れ。」
- 『伊勢物語』在原業平:「遠く離れた恋人への想い=高嶺の花。」
6. 「高嶺の花」に近いことわざ
- 「絵に描いた餅」:見た目は良いが手に入らないもの。
- 「月とすっぽん」:比べ物にならないほどの違い。
- 「遠くの親類より近くの他人」:遠い憧れより身近なものが大切。
- 「燕雀、安んぞ鴻鵠の志を知らんや」:小さい者には大きな志が理解できない。
- 「隣の芝生は青い」:他人のものが良く見える。
「高嶺の花」は、手の届かない美しさや憧れの対象を象徴する言葉として、古くから多くの文学や表現に用いられてきた事が分かりましたね。